2014年1月15日水曜日

第9回商店街うんちくツアーの結果報告(2) タカハシガレーヂ




 篠原商店工場での見学とお話を終えた一行は、隣の明治自動車(タクシー会社)の構内を通らせていただいて本牧通りへ。すごい近道になりました。ありがとうございます。

 このタクシー会社のナンバープレートはすべて2桁であるということを参加者からお聞きしました。車の番号もそれに統一しています。


後日、タクシー会社の担当者に聞くと、「お客さんが覚えやすい番号ということで2桁にしています。忘れ物をしても、苦情を言うにしても、連絡しやすいでしょ」とのことでした。



≪タカハシガレーヂ≫
高本:お店の上に似顔絵が描かれた看板がありますが、あれが社長の私です。これは、うちが加盟しているロータスクラブのアイデアなのです。看板なんだから、社長の似顔絵を入れちゃえって。

うちのような整備工場が約1500社も加盟しているクラブで、やはり1社だけではディーラーさんもなかなか振り向いてくれませんから、こういうふうに結束しているのです。
当初は50社くらいで東京でスタートし、いろいろなノウハウを蓄積してきました。このクラブができて40年近くになります。


 当社は昭和22年に外国人の車を洗う仕事から始めました。洗車ですね。当時はこのあたりにはたくさんの洗車屋さんがありました。
この先に山手警察がありますよね。そこを左に行った所に整備工場の「モーリス」さんがあります。あそこも洗車屋さんだったんです。
あそこの工場の中に青い外車が置いてありますね。あれは外国人が持っていたものですが、本国へ帰るからって、買い取ったらしいです。そのあと展示会などに使っているそうです。
 昔の外車といったら、応接間みたいな車ばっかりでした。後ろなんか5人くらい乗れるほど。とにかく大きかったですね。

 整備工場として会社を設立したのが昭和33年です。昭和44年には指定整備工場となり、車検整備ができるようになったのです。認可を受けました。
 店名ですが、当初は「高橋」でした。その後、カタカナが流行っていたころ「タカハシガレーヂ」にしました。



そしてロータスクラブに加盟したわけですが、農家が畑を耕して種を植えなければ商売ができないのと同様に、車を売らなければ整備工場の仕事がなくなるよということで、このショールームを作って車を販売するようになりました。
最初は日産でしたが、その後、スズキ自動車になりました。ですから表の看板にはスズキのSの字が書かれています。
 私が三代目ですが、引き継いだのは平成14年でした。その時、看板を作りまして、社長の顔を看板にしてもらいました。顔写真が出ているところは珍しいと思います。




ロータスクラブ神奈川支部は毎月1回、会合があり、勉強会や提案などを行なっています。会場は自動車保険の「東京海上さん」と「あいおいさん」の2箇所を交互に使ってやっています。保険も2社と提携していますが、ほかも2社ずつ提携しています。
タイヤはブリヂストンと横浜タイヤ。
バッテリーはナショナルとユアサですね。
ローンはジャックスとオリコの2社です。
ロータスクラブ参加会社は全国で1500社ありますから、自動車の販売だって大きいですよ。三菱自動車がリコール問題で大変だったときはロータスが助けました。各社1台買えば1ヶ月で1500台ですから。



このあと、工場の中を通って次のDECO-BOCOへ向った。


(つづく)



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